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実家暮らしは家庭的に見えにくい

婚活コラム画像

《実家暮らしは、家庭的な印象を持たれにくい》

女性が実家暮らしをしている場合、家事を全くしていないのだろう、という先入観で見られているケースが多い。

経済的な面を考えて実家暮らしをしている人や、職場が自宅からとても近い場合、親の面倒を見なければならない場合など、

理由はあると思われるが、男性からの視線でみた場合には家事は全くしない、したくないから実家にいるのでは

ないかと思われてしまうだろう。

 【実家暮らしといえば】

・家に着いたら食事が出来ている。

・お風呂の準備はされている。

・お風呂に入れば服が洗濯されている。

・朝は起こしてもらっている。

・お小遣いをもらっている。

・送り迎えをしてもらっている。

・1人暮らしが出来るほどの収入がなく、そこまで働きたくもない。

完全に子供の頃の延長線上にいる生活をしているように思えてしまうわけである。

その為、プロフィールでは強めに家庭的な感じを出す必要性がある。

しかし、主張のしすぎは逆効果になってしまうので注意が必要だ。

家庭的と言った時に初めに浮かぶのはなんだろうか。

男性がイメージする家庭にいる女性は間違いなく母である。

母からの恩恵といえばやはり毎日の食事、料理ではないだろうか。

掃除や洗濯は機械がしてくれるものであるため、正直なところ誰が行っても代わり映えしないが、

料理はかなり個性が出る可能性を持っている。

どんなに料理が上手であろうと、好みから遠ければ意味がない。

よく、プロフィール写真の他に料理の写真を載せる方を見るが、私は好きではない。

写真を撮るために作った料理は、何かを参考に再現したものであったり、

見栄えだけを重視してうまくいったから写真に収めているように見えるからだ。

そういう意味では押し付けがましく感じてしまう。

これが主張がし過ぎという部類なのではないかと考える。

私が求める料理というのは、凝った料理ではなく、適当に準備できる事である。

そこには深い味の追求もなく、美しい見栄えも求めてはいない。

適当な材料で適当に作ることが大切なのだ。

カッコいい必要はない

よく婚活女性は「なんたらカルパッチョ」が得意です、なんてどこかのレストランでしか見ないような料理名を言う人がいるが、

家に帰って素敵なカルパッチョが用意されているよりも、ビールを開けた時につまみがなんとなく用意できる方が良い。

なぜなら、それは私の為に私のことを考えて用意してくれたという経緯があり、仕事が終わった開放感を感じる事ができるからだ。

それほど美味しいイタリアン料理が食べたければ、そういったお店に行くし、そもそもパスタなどは昼食という気がしてしまう。

肉じゃがを作ったが肉が入っていない、揚げ物を作ってみたが作ってみたがソースがない、そういった感じでも大した問題ではない。

今日ある材料で適当に作る料理、家庭料理というのはそういうことではないのだろうか。

一人暮らしという実績があなたのステータス

婚活を始めるまでに、1人暮らしをしてきた人には少なからず生活をしているという事実があるからだ。

最低限であっても家事をしなければ生活が成立しない。

洗濯をしなければ着る服がなくなるわけであり、掃除をしなければゴミ屋敷になってしまう。

会った瞬間の清潔感や、匂いなどでその能力を感じられるかもしれない。

食事に関しても、料理を全くしない可能性があるものの、何かを食べて生活しているという事実があることから、

得意料理などを挙げられると真実味があるのだ。

料理は質は求めていない

実家にいる人が家で料理をするといっても、年に一回程度かもしれないが、1人暮らしをしている人では

毎日何かを食べているというリアルがある。

他にも、いろいろな契約をする、保険に入る、洗剤や食材を買う、など全てをこなしているわけだ。

それが自然にこなせるということは将来一緒に暮らす時の安心感の保証にもつながってくる。

年齢に合った知識と経験

特に年齢が増すごとにそれは必要になり、そういった簡単なことさえわからないとなれば、

常識のない人という烙印を押されてしまいかねない。

というように実家暮らししかしてこなかった人とは大きく差のある見方をされるということを知っておこう。

男性は「お母さんに頼んでいたことを、女性は同じようにこなしてくれる」と考えているのだ。

よく「私はお母さんではない」という人がいるが、確かに夫のお母さんではない。

なぜなら、無償ではないからだ。

家政婦は仕事次第でクビになる

家政婦扱いしないでほしい」と主張する人がいるが、主婦は決して家政婦ではない。

なぜなら、家事をしなくてもそれだけではクビになったりしないからだ。

むしろ仕事をしなくても夫がこなしてくれたりというケースもあるわけであり、それでも夫は惜しみなく収入を家庭に入れてくれるだろう。

それを望む男性もいる可能性すらあるわけだ。

そう考えた場合、専業主婦であれば、夫の給料を全て預かっているわけであるから「お母さん」ではなく「有償のお母さん」というべきだろう。

子供ではないので無償の愛ではない

逆にお母さん以上であるべきだとは思えないだろうか。

例えば、夫の年収が1000万円で会った場合、全ての家事を完璧にこなしたとしても1000万円の価値までは難しい。

逆の立場に立って、あなたならどういった場合に1000万円を全て渡しても良いと思えるか考えてみて欲しい。

今の自分を客観的にみた場合に、大きな責任を負い汗水流して働いてきた1000万円を渡す価値があるかどうか。

それを考えた時、24時間寝ずに家事をしても1000万円の対価には届かないのではないだろうか。

金額ではない自分の価値を知る

自分の存在の意味はなんなのかという質問を受けるが、存在の意味は自分で決める事であり、他人が決めることではない。

自分でやるべきことを考えて行動する、その結果がどうであれ自分が納得できればそれが意味なのではないだろうか。

男性は多くの収入を得ることが自分の価値だと思う人が多い。

収入の多さがステータスであり、自分の価値、家庭での存在感、家族から誇れる父、と考えてるのではないだろうか。

郊外の傾向

私の結婚相談所は郊外であるために、婚活男性の年収はそれほど高くはない傾向である。

埼玉北部、群馬県、栃木県、茨城県、この辺りでは世帯年収で500万円程度であるため、共働きをやむなくされることが多いようだ。

結局のところ、お互いの譲歩があって家庭は円満となっていくのではないだろうか。

私はさだまさしさんの「関白宣言」のような男でありたいと考える。